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今日は米国の独立記念日で、さらに母の日本帰国の日でした。初めて米国を訪問した母をサンフランシスコ空港に送ってきて、今は、自宅から星条旗がはためく街並みを眺めています。 6/21に母と一緒に日本から米国に戻り、母の2週間の初の米国体験は無事に終わりました。空港のセキュリティで、涙をこらえながら、ゲートに向かう母の後姿を見て、思わず私も目頭が熱くなり、やせて小さくなった母をいつまでも見送っていました。 英語が話せない母が1人で飛行機で日本に帰国することを考えると、本当に心配で、今も太平洋を飛んでいる母のことが気になっています。 母の2週間の米国体験は、驚きの連続だったようです。彼女が発する言葉は、11年前にアメリカに移住してきた頃の私と同様のもので、マスメディアを通じて知っていたアメリカを、自分の目で見て実感した母は、日米の違いに改めて新鮮な感動を実感いたようです。 母の行動は精力的です。 ・まずは、お待ちかねの「メジャーリーグデビュー」: 6/24(土)、メジャーリーグの大ファンである母はサンフランシスコ・ジャイアンツ vs オークランド・アスレチックスのゲーム観戦です。デイゲームで、自宅からフェリーに乗って、SFダウンタウンに到着したあと、夫と3人でボールパークまで歩いていきました。母は、足がだいぶ弱っていますが、私の腕につかまりながら、「メジャーリーグデビュー」という呪文を唱えながら、がんばって歩き、無事にChina Basinまで到着しました。試合は、Barry Bondsの719号ホームラン(彼はその日はオフのはずでしたが、本人の希望で出場したというおまけつき)、ジャイアンツの逆転勝ちという好ゲーム。母は、「I was there」というベリーがホームランを打ったゲームにいたという記念のピンをもらって、球史の証人になれたと大喜びでした。 ![]() ・サンフランシスコベイでの「セーリングデビュー」: 6/29(木)、夫と3人で友人のセールボート、仏製のJeanneau(ジュノー)の51フィートの「Polonaise Ⅱ」で、ベイセーリングに挑戦。天気もよく穏やかな気候で、ビギナーの母にとってはちょうど良いセーリングとなり、ジャイアンツの球場のあるSouth Beach Harborに向かって、船を走らせました。ハーバーには、日本の国旗がはためくセールボートEmu Ⅱが停泊しており、声をかけると、大阪から2ヶ月かかってサンフランシスコに到着した隻腕のヨットマン、米子昭男さんが出てきました。彼は片腕の世界無寄港のセーリングにチャンレンジしたセーラーで、植村直己冒険賞を受賞している方です。久しぶりに日本語を話せたのが、嬉しかったようで、うちの船の中で、今までのセーリングの話を大いに語られていました。 ![]() ・ルーズベルト大統領専用ヨットPotomacの船内視察: 7/2(日)、夫もクルーとして乗り込むことのある、ルーズベルト大統領専用ヨット「ポトマック号」の船内見学。私と一緒に、英のチャーチル首相とルーズベルト大統領が座ったファンテールというソファで記念撮影。500万ドルかけて修復されたポトマックは、大統領の死後、一度はエルビス・プレスリーもオーナーとなったこともある歴史的な船です。ボランティアのWandaの説明やビデオを見ながら、船内をくまなく見学して、大統領夫人であるエレノア・ルーズベルトの業績もしっかり拝聴して、歴史を大いに学びました。 ![]() ・アメリカの一般市民との「コミュニケーションデビュー」: 2週間の米国滞在中、毎朝必ず自宅の近くを探索していた母は、道すがらほとんどのアメリカ人が必ず挨拶をしてくることに、すっかり感心していました。彼女は英語が話せないことを気にもせずに「ハーイ」を連発して、先方がそれ以上を英語で語りかけると、すぐに日本語に切り替えて、身振り手振りを交えたコミュニケーションで、米国の一般市民との社交を単独で行っていました。どうやら、私の度胸のよさは彼女譲りのようです。 もちろん、これ以外にゴールデンゲイトブリッジやサウサリートなどの観光名所も押さえて、シリコンバレーや太平洋岸のハーフムーンベイまで、足を伸ばしており、さらにガーデニングが大好きな彼女は、我が家のバックヤードにトマトや日本きゅうりまで植えて、大いに満足したようです。 滞在中、彼女の言葉で記憶に残ったのは、 「アメリカはいろんな人種がいて、まるで五目御飯のようだ。白米だけのご飯より味がある」 「誰でも、目があえば、にっこり笑って挨拶をする。日本だったら、まず知らない人と目をあわせないし、ひどい時には、年寄りは突き飛ばされてしまう。」 「台所のカウンターが高くていいね、これなら、料理をする時にかがむ必要がない。つくりがすべて合理的だ」 「なんで、日本はこんな大きな国と、戦争をしたんだろうね。まったくばかげている。」 「国旗を誇りを持って掲げられるアメリカはいいね」 彼女のつぶやきには、確かに真実の感動や感慨があり、私も多くのことを考えさせられました。 私にとって最も大きな収穫は、「母と11年ぶりに過ごした濃密な母と娘の時間」です。自分が米国で元気で生活していけるのも、すべて両親が私に健康で頑丈な精神と肉体を与えてくれたからです。この2週間は、17年前に父が亡くなった以来、1人で生きる母への親孝行のチャンスでもあり、母へは感謝の気持ちで一杯です。 母の誕生日は日本の建国記念日の2/11で、私にとって、この日は母と僕の誕生日で、二重の意味を持つ日です。今朝、夫は仕事に出かける前に、母に「今日はアメリカの誕生日」と言って独立記念日のことを話していました。 アメリカ人は独立記念日をみんな楽しみにしています。大人も子供も、みんなイスを道路に持ち込み、独立記念日のパレードを見守り、ブルー、レッド、ホワイトの3色が街中にあふれています。アメリカの誕生日は、さわやかな風にふかれて、大小の星条旗がはためく、気持ちのいい日です。 ■
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by hisamioh!
| 2006-06-29 05:37
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